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元から弱いと自覚していた自分のカラダ、いよいよはっきりと壊れてきたのは16歳の頃からでした。
同時に西洋医学への落胆と東洋医学への希望(まさに希望だけでしたけど)が芽生えたのもこの時期。

「どうやら自分のカラダは自分で治すしかないようだ」

落胆と絶望の淵で見えた希望はそれだけでした。

それから25年、本当に25年かかりました。
もうすぐ宿世の業縁のような自分の体調の悪さから離れることができそうです。
見込みでは後1週間。

長かった。
あと5年で30年のベテランですよ。

思えば段階的に自分が学べるように学べるようにヒントが置いてあるような道を歩いてきました。
ありがたいことです。

そういう意味では自分は恵まれた人間なのかもしれません。

まあ「楽しい時期」なんてまるでない若い頃でしたが。

でも、それでよかったのかもしれない。

「楽で楽しい人生」を望むのであれば十二分に間違った人生です。

しかし「学ぶ為の人生」であるのなら十分に正しく進めたように思えるのです。

自分の体調を決定づける事件が起きてから、なぜか意識の面では「なんとか生き残らなくちゃいけない」という普通の高校生ではありえないものが生まれてきました。

今思うと、最悪の状態に向い始めた体調に対して、意識が対抗していてくれたのかもしれません。

その意識のお陰で、自分にとって何が正解なのか、常に見据える目を持てたように思えるのです。
「治療技術の極み」を本気で追う人生(こんなに楽しいのに大抵の人は1歩目で諦めてしまう道)を歩めたのです。
そして、正解な行動をしてくれる人たちをそう見てとれたような気がするからです。

お陰様で、本当にお陰様で、自分はもうすぐ最高の状態(当社比)になれるはずです。

そして、また新たな仲間を見つけて、楽しく働けるような気がするのです。

ものすごく楽しみです。ありがとうございます。

by hariponpon | 2012-06-15 00:38  

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