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読書の救済

HPを自作している事は以前に書いたけど、その資料は例によって図書館から借りているもの。
HP作成に関する本を借りるついでに、つい他の本も探してしまう。

自分は総じて外国の文学というのが苦手で「これを読んでおくといい」という本は買っても借りても結局は読まないまま終わってしまう。
もし記憶力が弱くなってしまったら「ライ麦畑でつかまえて」が何冊も本棚に並ぶことになると予測する。
(このタイトルにはなんというか惹かれてしまうのだ、理由は謎である、そして1回も読んだことはない)

でも、そんな外国文学でも最後まで読み通せた本があった。
自分が大好きな作家の村上春樹さんの訳ではあるんだけど「心臓を貫かれて」という本である。
著者はマイケルギルモア、ノンフィクションである。

よくわからないけど15年前のある日、書店で見つけて内容もわからないのに買ってしまった。
文庫本というど上下巻だったので安くはなかったと思うんだけど、とにかく買ってしまったのだ。

内容については書かないけど、自分はこの本に救済された気がした。
読むのは1回で十分だった。

漫画は好きなように読めばいい、それは「思い込み」だけで読んでも良いということ。
でも文章というものはそれに対して制限がかかる。
読書というものは「文章(活字)の理解」と行程がある為、その内容を理解しようという頭が働く。
でも、その制限が「思い込み」から「自分」を引き剥がしてくれる場合があるのだ。

それは本を読んで「あーこの状況を自分は知っている」と感じた時にわかる。
その本に書かれている内容が自分の経験とかぶると、自分の経験とくっついている「感情」が引き剥がされるのだ。

この時点で「自分の過去」は感情を引き起こすそれではなく「ただの過去」になる。

読書にはこんな救済があるのだ。

多分そういった作用をしてくれるのが「良い本」なんだと思う。

by hariponpon | 2013-03-19 23:44  

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