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前のブログに書いた「愚かさ」を行動原理というか言い訳を表現するなら「自分は悪くない」となる。
その頭の回路こそが現実的な失敗に繋がる。

失敗してそこから学ぶならそれで良し、実際それが出来れば過去の問題はほぼ帳消しになるくらいの隠しボーナスがこの世にはあるのだ。
これ、多分先に書くことになるだろうと予測している「この世は愛に溢れている」の根拠ね。

ところが、大抵の人間はそこを学ばない。
寧ろ「自分が如何に悪くなく、如何に相手が悪いか」の理論(うん、屁理屈とも言うよ)を展開する。
で、ぐるぐる同じところを周り年齢と共に落ちて行く。

悔い改めが出来ない、もはや遺伝子から始まってるのではないか?と思わせるくらいの頑固。
そういう人種の思考は、

例えば、万引きをして捕まった時、

「万引きは悪い事だ」と真に理解すれば、もう二度と同じことはしない、というのが普通の思考のはずだが、

悔い改めが出来ない人種は「万引きのやり方が不味かったのだ、次はもっと上手いやり方をすれば良いのだ!」と考えるのだ。

反省の次元が問題外に違う。
犯罪者が犯行を繰り返すのもこのご立派な理屈だろう。

これで上手くいくはずがない。

悔い改めが出来るか、そして人生に予定されているはずのレベルに達するまでそれを繰り返す時間が残されているか、が問題なのだ。



自分が経験したのは、正しい人生のルートに乗った人は、

まず自分の弱点を克服する事を要求され、

次に「悔い改め」という手段で「この世の悪」と対峙する、というそれだった。



その過程で、人間集団というものがどう行動するのが見せてもらった。

もの凄い愚かさだった。

特に悪くなっていく状況に関して間違いを薄々自覚しながらも、自身が破滅する前にこちらを破滅させる事が出来れば勝ちだ、と行動して来たのには呆れさせてもらった。
この世をなんとかする為に生きている人の行動の邪魔をする事は、この世を亡ぼす事に加担するということ。
その罪の重さが理解できなかったのだろうか?

それを知っていて見て見ぬふりをした人間も同罪。


最近、大手製造業の買収が話題になっているが、これも要は会社にとって重要な人物を大事にするより既得権を主張する団塊世代の老害の指示に従った事の報いだろう。


正しいものは正しい、故にその逆も正しいのだ。

罪には罰、そのルールを知らない者または知らないふりをする者は、


恥を知れ。




by hariponpon | 2016-04-02 01:30 | 心の地図とその仕組み  

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